四郎が浜

住所 有明町上津浦

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一揆衆は湯島(談合島)において会談を行い、天草四郎を戴いる一揆軍は上津浦浜周辺に上陸した、と伝えられていることからその名がつけられた。
寛永14年(1637)旧暦11月13日、対岸の島原原城下から200艘あまりの小舟で押し寄せたキリシタン軍3000人余は此処上津浦海岸に上陸、待ち受けた天草のキリシタン宗徒を加え軍勢約一万人となった。翌14日早朝上津浦を進発、大島子の唐津勢との戦いを皮切りに本戸、富岡に進軍、代官所のあった富岡城を攻める。