>南蛮寺

住所 有明町上津浦

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天正17年(1589年)上津浦城主ホクロン殿が建立した南蛮寺は、キリシタンの布教活動の拠点であった。最盛期には3500人を超える信徒が上津浦城主の庇護の下にキリシタンに帰依し、ここには宣教師も駐在していたが、慶長の禁教令により南蛮寺は取り壊されてしまう。そして天草・島原の乱後、この辺りは亡所と化し、いつしか南蛮寺の所在そのものが忘れ去られようとしていた。 昭和60年、本堂の改築の際に発見されたキリシタン墓碑には、IHSのイエズス会の紋章と十字架が彫りこまれており、南蛮寺興亡のいい伝えが歴史的事実として裏付けられた。杉小立に囲まれた境内には、キリシタンの司者が植え付けたといわれる樹齢約400年の南蛮樹(ナギの木)が今もあり、往時の面影を伝えている。