五輪塔

住所 有明町上津浦

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五輪塔は、主に供養塔・墓として使われる塔の一種で五輪卒塔婆とも呼ばれ、日本で考案されたものとの考えが有力である。 この五輪塔は、明治の終わり頃、県道工事の際に上津浦城の南東側、城の堀切にあたる場所付近から発見され現地に移設されたものである。水輪には四面に阿弥陀如来、千手観音、如意輪観音、阿弥陀如来の化現たる大威徳明王をあらわすキリーク、変体キリークの梵字が刻まれている。その形態から十三世紀頃のものと考えられ、中世天草を支配した天草五人衆の一人、上津浦氏の供養塔と思われる。 上津浦氏は1329年、鎮西探題から長島山田野争論の調停を命ぜられる、とあるように、すでに天草において13世紀から14世紀には在地領主として、存在していたことが伺える。 全高1.62m、五輪塔としては天草最大級であり、上津浦氏の勢力の大きさを物語る重要なものである。